クマさんの日記

研究のこと、科学のこと、思ったことをメモ帳代わりに殴り書きするだけのブログです。

レスベラトロールについてふと思うこと

二重結合を見ると光環化できそうだな、ポリマーできそうだなと思うようになりました。僕です。

 

毎日って程ではないんですけど、「日本の研究」というサイトで研究のプレスリリースにざっと目を通しているのですが、スチルベン合成酵素から作られるレスベラトロールというポリフェノールの一種の構造を目にしまして、それがいかにも光環化しそうだなと。あ、オチはありません。

 

レスベラトロール(trans-1,2-(3,4',5-トリヒドロキシジフェニル)エチレン3,4',5-トリヒドロキシ-trans-スチルベン)はブドウの果皮や赤ワイン等に含まれる抗菌性物質ですね。

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※TCIさまより引用(https://www.tcichemicals.com/JP/ja/p/R0071)

1940年に北海道帝国大の高岡道夫博士が梅蕙草(バイケイソウ)の根から分離精製・構造決定して、命名した物質です。日本発。尚、1963年にて虎杖根(コジョウコン)という生薬からも分離精製されています。

確かmicroRNA(miRNA)の発現調節に関する研究の記事で見かけた気がします。

 

この構造、トリオールで芳香環二つももってて、ダブルボンドもあるんで、これ保護基つけて光環化して二量体にすればジオールのバイオ由来モノマーとして使えそうだなと。いやでも両側に芳香環あるとかさ高さで反応しにくそうだなという気持ちもあります。こういうときもっと有機合成の知識があればいいのにと自分の不勉強さを呪いたくなりますね笑

 

こんな感じで医薬品や生化学の教科書とかを引っ張り出してはポリマーにできないかなと妄想したり考えたりする日もたまにあります。気が付いたら朝になってたこともありましたが。

 

自分の不勉強さをさらしてしまっただけの回となりましたが、時間が来たので今日はこのあたりに。

 

それでは。

ちょっとした夢

今日も一日おつかれさまです。

睡魔に負けて昨日書けませんでした。一週間連続で書けていたのに。やっちゃった。

 

さて、今日はネガティブな想定外の実験結果を得てしまい、一週間分がおしゃかになりかけていますが、これも経験や訓練だと思ってめげないでいこうと思います。原因を調べて、これからどうすればいいのかと前向きに考えていかないと研究やっていけないですからね! …ハァ。

 

今日は身の程知らずでおこがましいこと自分の夢、というよりかはいつか実現したいことの一部をここで書き残しておきます。僕のことを知っている人がうっかりこのサイトに足を踏み入れて、なおかつ以下のことを読めば鼻で笑うかもわかりません。

 

まずは博士号取得を第一の目標として目指していますが、その次にも一応目標はいくつか決めてあります。漠然としてますが。Ph.D取得に関しても漠然とした不安が頭と背中と胃の中にどっかり乗っかってますが。

 

ひとつは仕事に励みつつ、技術士化学部門を取得することです。ただ単に一生化学に携わっていきたい、化学を武器に生きていきたい、かつそれで会社と社会に貢献することで自分の存在価値があるんだと自覚できるという気持ちがあるだけなんですけども、ご縁もご厚意もあって半ば奇跡的に大学院にいさせていただいているんなら、目の前のことはもちろん、それを乗り越えてもまだ挑戦していきたいなって。まぁ見栄ですね笑

 

でも40代までには取得することを考えています。口で言うのは簡単ですね。

 

ふたつめは、大小問わず、自分で会社の研究施設や事業を立ち上げたいと考えています。これは詳細はいえませんし、具体的な何かも考えているわけではありませんので、世間を知らぬ若造がなんか寝言言ってるぞと言われかねないですが、人生で一度だけ研究室を持つ教授にあこがれたことがあったので、それを会社で実現したいというのが感情的な理由です。

 

そのためにも学ばなければいけないことは山ほどありますし、挫折という挫折を味わうことになるかと思いますが、一度きりの人生なら成し遂げたいことのひとつですね(よく言うよ)。ただ犠牲にするものは計り知れなさそうですが、理系選んだ時点でいくつか犠牲にしていますのでまぁ大丈夫でしょう(楽観の極み)。

 

そして三つめは作家になることですね。いやここまでくると加古里子さんにでもなるつもりかと。とはいえ、小学生のころからストーリーという名の妄想を考えるのが好きで、高校生の時に小説らしき駄文を書き始めて今に至りますから、この世を去るまで何かしらの物語を描き続けるんだろうなと思います。きっとあの世でも妄想を書きなぐっていることでしょう。

 

それならば、一冊くらいは自分の書いたものを世に出したいとは思います。ネットの海には流していますが、海洋ごみの如く徐々に消え失せながら漂っていないことを祈るばかりですね。

 

このブログもライティング力を高めるために始めたことではありますが、今のところ自分の気持ちを吐き出しているに過ぎないので、習慣化したらちゃんとしたことを書きたいなって思います(ちゃんとって何だ)。

 

夜も更けてきましたので、ここでいったん区切ります。また夢の話をするかもしれませんが、後々羞恥心で悶え苦しむ未来が見えますね。でも人間妄想や身の程知らずな願望のひとつやふたつは持っているものだと思ってます。

 

それでは。

 

見栄っ張りの正体

どうも、見栄を張りたい僕です。冗談です。半分。

今まで無自覚でしたが、ここ最近はどうも自分は見栄っ張りなんだなと自覚し始めました(今更)。確かに先生や親に言われたこと何回かあったっけ。

 

見栄を張りたい理由等は人それぞれなのかもわかりませんが、僕が感じた限りだと、やっぱり根底は人にかっこよく見られたい、笑われたくない、怒られたくない、嫌われたくないという心理が働いているんだろうなと。

 

要は人に見られることを意識しすぎていると。それと、自分自身に自信がないのも一理あるかと思います。僕の場合、能力不足や劣等感が自信のなさの原因かと考えています。

 

でもまぁ見栄を張ること自体は悪くはありません。そのために努力することにつながれば結果オーライですし。ただ程度が過ぎると危ないんじゃないかなと感じています。

 

まず見栄を張った末に訪れることは、人と比べすぎて自分を見失ったり、自分より低い人の方へ目を向けてしまったりする点です。この状態に入ると負のスパイラルですね。上を目指すことなく、現状を正当化するべく下を見続けるわけですから。僕も一時期そうでした。

 

どう解決するか。

 

人によく見られたいなら、見られたいという意識をなくすことと、逆に人を見る側になったらいいんじゃないかと考えてますね。

 

自分に意識が向いている限り、人は自分を見てくれません。みんなも本能的に自分に意識を向いている人が多いので。そうとなれば人に関心を向ければ、その人は自分に興味を持ってくれていると思い、友好的になることが多い。

 

これはプレゼンの緊張をほぐす方法の一つとしても知られています。見られる側から、見る側になって発表すると緊張が軽減されますし、人をちゃんと見るようになるので結果的に良いプレゼンをすることができます。

 

そして、僕の場合は自信がないから見栄を張る部分もあるので、見栄を張る必要がないだけの能力をつければ解消されるのではないかと。そのためにもコンプレックスに感じていることに挑戦したり、勉強や研究に打ち込んだりしたいところです。

 

もう少し話したいですが、ちょっと眠すぎるので今日はここまで。

それでは!

 

第41回日本SF大賞が決まりました

第41回日本SF大賞の決定が告知されましたね。え、知らない? またまたぁ。

 

大賞は

・『歓喜の歌 博物館惑星Ⅲ』菅浩江早川書房

《星系出雲の兵站全9巻 林譲治ハヤカワ文庫JA

です。誠におめでとうございます。

 

詳細は以下のサイトにて.

第41回日本SF大賞決定のお知らせ|一般社団法人日本SF作家クラブのプレスリリース

 

もうAmazonで購入できるようです。どちらも興味惹かれるあらすじでした(事後報告)。

 

歓喜の歌 博物館惑星Ⅲ | 菅 浩江 | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

星系出雲の兵站 1 (ハヤカワ文庫JA) | 林 譲治, Rey.Hori |本 | 通販 | Amazon

 

歓喜の歌は3部作であり、遂に完結したとのことです。読むならⅠからですね。

あらすじ見た限り、印象としては、どちらも地球から飛び出しているお話だなと。趣味とはいえ小説書いている人とは思えない稚拙な感想ですね。もうちょっとマシな言葉があったろうに。自分でもびっくりしてます。

 

それはさておき、自分もSF好きですし、かつ書いていますのでこういう記事を見るとすごいなぁと思ったりします。まだまだど素人ですが、いつか自分の本が出版されたらいいなと思っています、というより人生の目標(夢)の一つでもあります。

 

今度以上の作品を読んでそのレビューをここに書こうかな、という気持ちだけが起きましたので、いつかやりたいですね。読むのめちゃくちゃ遅いですが。

 

今日は所用があるので、ちょっと早めに締めます。

 

それでは。

オーエンスレーガー賞のルーツと加硫の仕組み

ノーベル賞然り、プリーストリー賞(ACSが授与する最高賞)然り、何かしらの卓越した業績や優秀な成果を上げた際に人名を冠した賞を授与するというのは見慣れているとはいえ、最早その名前が人名であることも知らない人が身近にいたことにびっくりしました。

それぞれ偉業のルーツがあるので、知っておいた方がいいというのは言うまでもない。まぁ僕は全然知らないですけど。

 

今回はたまたま見かけた「オーエンスレーガー賞」…のルーツについてちょっとだけ話そうかと。見覚えある名前でしたので。

G.Oenslager(1873-1956)は化学者であり、ダイヤモンドゴム社に入社後、ゴムの加硫促進剤(アニリン)を発見した人物として知られているかと思います。

 

加硫に必要なのは架橋剤である硫黄だけでは反応は遅く(今は過酸化物やキノンジオキシム系もありますが)、加熱しても10時間はかかるといわれていました。そのため加硫反応を促す配合剤が必要だったんですよね。

当初は金属酸化物が主体でしたが、それでも反応は遅く、金属イオンによる劣化の問題もありました(亜鉛とかはポリマーのしゃく解作用もありますし。それがマイナスになるとは限りませんが)。

 

そんな中で20世紀ごろ、無貴金属塩の加硫促進作用は塩基性によるものとオーエンスレーガーさんは考えて、有機塩基としてアニリンを試みました。

結果、飛躍的な促進効果が見られたんですよね。ただ、液体の上に人体に毒性があったので、後に固体のジフェニルチオ尿素が採用されましたが。そこから有機加硫促進剤の開発競争が激化しました。20世紀頭なので、その時期にタイヤはじめ、車の需要が高まった頃かと思います。フォードT車の発売が1908年でしたので、そこからタイヤゴムも発展していったのでしょう。

 

ちなみに酸化亜鉛有機促進剤の効果をさらに高めることを認めています。とまぁ、加硫技術の礎を据えた人物でありました。本当に感謝しかありません。それのおかげで200℃にも満たない温度で数分で加硫できるのですから。

 

今では多様な加硫促進剤が開発されていて、その代表例としてMBZこと2-メルカプトベンゾチアゾールがあります。これが配合している酸化亜鉛と反応し、次いでゴムと反応、亜鉛イオンによる金属配位を起こしては架橋と架橋前駆体を形成するって流れです。その反応スキーム描きたいのですがめんどくさいですし、どうやって図として載せればいいのかわからないので文字だけにします。

ただ加硫促進も早ければいいってものではなく、適度な速度が求められます。そういう意味では勝手の良さを含め、スルフェンアミド系(N-シクロヘキシル-2-ベンゾチアゾールスルフェンアミドとか)が実際によく使われています。

 

あれ、何の話をしてたんでしたっけ。人物の話のつもりが化合物のはなしになっていました笑(そういうとこやぞ)

 

では、ちょっと熱が入ってしまいましたが、これにて終わりにしたいと思います。化学関係の話をするなら、もうちょっとしっかりした説明をすればよかったなと反省してますが5分後に忘れるので次回もこんな感じで適当に話すことでしょう。

 

それでは!

 

愛想と誠実は等しいのか

今日は書かなくてもいいかなって思いましたが、せっかく連日で書いているので今日も短いながらも何かを書こうと思います…といいつつ寝落ちして朝になってました。こんにちは。

 

語呂がいいのか、今日は作業中ずっと頭の中で「巧言令色鮮し仁」が反芻していました。その理由は僕が聞きたいくらいです。昔読んだ論語の記憶がよみがえったのでしょう。

 

話が巧みで人に愛想を振りまく人には誠実さは少ない人間が多く、人として最も大事な仁徳が備わっていない、という意味です。確かそうですよね(うろ覚え)

 

これ思い出してはグサッと刺さるんですよ。言葉巧みでも振りまく愛想もあるかわかりませんが、愛想よくしようとしている覚えはなんとなくあります。

 

あるからといって誠実ではないとも限りませんが、上辺だけという印象を与えかねません。言葉やその場限りの態度だけでなんとかする人は徳が少ないんですよね。本当にその人のことを想っているのか。行動として示しているのかが重要なんだと。

お礼はありがとうの言葉だけでなく形として何かを返す感じですね(何か違う)

 

逆に剛毅朴訥は仁に近しという言葉もあります。

意志が固くて飾り気のない人は真の人格者に近いという意味です。耳が痛くなりますね。職人もこれに当てはまるんじゃないでしょうか。あくまで傾向ですけど。

 

今は勉強も研究も技能も求められていますが、それ以上にもっと大切なものを見失わないように、一度自分の行動を見返して、仁徳ある行動を忘れないようにしていきたいですね。どういうことをすればいいのかは、やはり考えるしかありませんが。

 

もう一度論語読み直してみようかな、と思う日でした。

 

それでは。

 

 

1%のアイデアには99%の行動が伴う

そうなんじゃないかなって僕は最近思います。

言うは易しですが、これがどれだけ大変なのか、実のところ僕は身をもって知ってはいない気もします。自覚がないだけならいいですが、そんなことはないでしょう。

 

行動という言葉のニュアンスも多様に含まれていまして、知識だったり経験だったり、それらをひっくるめて努力とも言います。ですが、努力って言葉自体もしなけらばならない感があるので、行動という言葉で定めました。

 

わかりやすく言えばひとつの良質なアイデアを出すのに99冊の本や論文を読むに等しいということなのかなと。学んで考え抜いて、試行錯誤した末にようやく一滴の熟成物が抽出される。僕はまだ材料を詰め込んでいる段階です。それらをかき混ぜて押しつぶしてすらいません。でも、原料が少ないままつぶしても濃縮されたものは出てくるのか。だからこそ詰め込むことは大切なんだろなと思います。

 

また、この%は使うエネルギー量にも言い換えられそうです。アイデアを出したり自分なりの意見を考えるのには1%のエネルギーを使うけど、それを実行するのに100%のエネルギーが要るんだろうなと感じます。そこから成果を出そうものなら1000%以上は使いそうですね。

 

うとうとしながらこの記事を書いているので何の話をしているのか、皆様はもちろん、明日以降の僕もわからないと思います。たぶん半分記憶ないかもしれませんが、それも含め記事として残せるのはいいですね。黒歴史が残るという意味では良いとは限りませんが。

 

それでは。