愛想と誠実は等しいのか
今日は書かなくてもいいかなって思いましたが、せっかく連日で書いているので今日も短いながらも何かを書こうと思います…といいつつ寝落ちして朝になってました。こんにちは。
語呂がいいのか、今日は作業中ずっと頭の中で「巧言令色鮮し仁」が反芻していました。その理由は僕が聞きたいくらいです。昔読んだ論語の記憶がよみがえったのでしょう。
話が巧みで人に愛想を振りまく人には誠実さは少ない人間が多く、人として最も大事な仁徳が備わっていない、という意味です。確かそうですよね(うろ覚え)
これ思い出してはグサッと刺さるんですよ。言葉巧みでも振りまく愛想もあるかわかりませんが、愛想よくしようとしている覚えはなんとなくあります。
あるからといって誠実ではないとも限りませんが、上辺だけという印象を与えかねません。言葉やその場限りの態度だけでなんとかする人は徳が少ないんですよね。本当にその人のことを想っているのか。行動として示しているのかが重要なんだと。
お礼はありがとうの言葉だけでなく形として何かを返す感じですね(何か違う)
逆に剛毅朴訥は仁に近しという言葉もあります。
意志が固くて飾り気のない人は真の人格者に近いという意味です。耳が痛くなりますね。職人もこれに当てはまるんじゃないでしょうか。あくまで傾向ですけど。
今は勉強も研究も技能も求められていますが、それ以上にもっと大切なものを見失わないように、一度自分の行動を見返して、仁徳ある行動を忘れないようにしていきたいですね。どういうことをすればいいのかは、やはり考えるしかありませんが。
もう一度論語読み直してみようかな、と思う日でした。
それでは。