クマさんの日記

研究のこと、科学のこと、思ったことをメモ帳代わりに殴り書きするだけのブログです。

自分たちのエゴだけでエコを唱えていないか

 今日のタイトルには自信がありますね。心の中の親父の部分がほくそ笑んでいます。

 

 しょうもないことはさておき、今はちょっと追い込みの時期ですね。全部投げ出したい。でも、ここでこそ頑張って、自分は頑張れる人間なんだと自信を持ちたいですね。もちろん、成果が第一ですが。


 さて、本題を話します。

 日頃、実験するときに有機溶媒とかしょっちゅう使っているのですが、これ環境に対してどの程度影響及ぼしてんだろといつも思います。

 環境低負荷材料を作っている以上、どうも気になってしまうのですが、工場規模を考えればまだスケールは小さい方なのでしょう(気休め程度の言い訳)


 果たして上記の件は本当にクリーンなのか、本当ならどの程度影響を及ぼすのか計算するべきなのでしょうが、いまそれどころじゃないので断念してます。


 処理施設の仕組みもわかってはいませんが、ともあれ、それなりに有害な物質として扱われているのは事実ですので、水やエタノール、果ては無溶媒が望ましいのだと思います。

 

とはいえ、副生成物で有害なものが出れば問題視されますけども。自分が取り組ませていただいている研究はまさに環境に対して負荷が少ない溶媒を扱っているので、安心してジャバジャバ使えますね。


 ただ、工夫を凝らしていくうちにいろいろな溶媒で試すほかなくなる場合もあるので、そこが悩みどころではありますが(溶媒に溶けなかったりとかしょっちゅうあるので)


 何が言いたいのかといいますと、クリーンのため・効率化のために元も子もないことをしていないかという個人的な心配があるんですよね。


 例えば、ノルウェーだったか忘れたんですけど、公共交通機関の燃料を家畜の糞尿を発酵させたもの(たぶんメタンガスでしょう)を利用してるとこがありまして、そのガスをタンクに詰めずに袋に入れて、バスの屋根の上にのせるんですよ(飛行船みたいな外観になるのかな)。


 なんとも(僕の大好きな)スチームパンク感が溢れますが、こちらの方がただの袋に入れるという点でコスパが安いんですよね。日本とかでは高圧にして大人一人分の体積のガスタンクにギュッと詰め込んでいるので、それをするための工場や電力を要する、つまり必要以上にコスト高くなっているのかなー、なんて思ったりします。


 利用用途次第では必要な技術だと思いますので、もしかしたら不適切なたとえだったかもしれません。ただ、目的を達成するためのプロセスを考えるときにどこかで手段と目的が入れ替わる恐れがあるのは確かです。それは環境をよりよくする、効率・合理化を考えるときには顕著だと思います。


 俯瞰的な視点で、省みて、本当にそのプロセスが必要なのか、その目的が本当にゴールなのかを定期的に確認したり、議論し合うのも大事かもしれませんね。

 

今回はこれくらいで終わります。
いつか読みやすいブログを書きたいのですが、今月はちょっと書き殴りスタイルで継続していくだろうなと思ったりしてます。続けるだけで必死ですので。

それでは!

自分の定めた善悪は間違っている

 天気がいいですね。過ごしやすい季節となりました。なによりDMSOを解凍せずに済むことが本当にストレスフリーです。

とはいうものの、天気のよさに反して僕のいまの気持ちは鈍色の曇り空ですけども笑

 

 早速ネガティブな話で恐縮ですが、大したことない出来事やタスクのはずなのにそれに参ってしまって弱音を吐きたくなる自分にうんざりしています。

 

みんなにとっては普通にできることが自分には難しいことなのか、それともやっぱり自分が甘えているだけなのか、どちらにしろ悩ましいことではあります。

そもそも悩む必要もありませんが、結局はそんな弱い自分に勝てない(自分の醜い部分を認めて、それを改善する姿勢がない)限りは解決できないことなんだろうかとぼんやり考えてます。

 

 ぼんやりついでに考えていることがひとつありまして、それは悪いことは本当に悪いのか、良いものは本当に良いものなのかという視点について一度改めようかなと思っていることです。これが今日書きなぐるテーマです。

 

 考え方や手法、知識にしろ、これは正しい、これは違うという判断で人間は動いていると思います。自分も物事を教わるときは大体は「これはいい」「これはだめ」と刷り込まれています。白黒はっきりした方がシンプルなので、「これ本当はダメなんだけど今回はこういうことあるからまぁ別に問題はないよ」というように妥協した教えをするよりもはるかに定着しやすいんですよね。

 

でも、言葉遊びとなりますが、これまで教わったことは本当に「正しい」のか。
ここで大事なのは、全部を疑って、何も受け入れないというわけではなく、身に着けたものを鵜吞みにしないことだと考えます。


僕は特にそうなんですが、教わったことに対して疑問や自分の意見をもたず、鵜吞みにしてしまう癖があります。わかった気になる、というのもその一環だとは思いますが、果たして本当にそうなのかと一度自分に質問し、自分なりに学びなおすことは大事だと思います(言うだけ言ってできてないのが現実ですが)。


「こうに違いない!」という考え方が危ないんですよね。平面説もポリマーは非導体しかないという考えも、超電導転移温度が40Kが上限だという考えも…実際はそうでなかった、という一種のパラダイムシフトが起きたように、必ずこうだというものはないんですよね。


法律も昔は問題視されず、今は取り締まりの対象になったり、子どもに対する教育方針も昔と今とでは変わったりしています。ビジネスや組織論においても従業員に対する扱い方は(例えばですが)機械の部品から家族の一員へと変わってきています。昭和と平成の世代の考え方も同様です。

 

要は、時代に沿って、ルールや定義、価値観は変わっているんですよね。

 

それを把握したうえで、どうしてそれが正しいのか、どうしてそれは間違っていると言えるのかを、一度自分の頭で考える習慣をつけることは、この先とても大事になってくると思います。

 

また、「逆にその間違っていることが正しいのだとしたらどういう理由がついてくるか」という考えも訓練としてやるのもよさそうではあります(もちろんその逆も然り)。例えば、歩きスマホを懲罰の対象ではなく、尊重する対象になるとしたらとか、化石資源の削減はしない方がいいのではとか(実際にニューヨークでは歩きスマホしてる人に対して主導権を握らせるというマナーがあります。要はよけずに歩きスマホしてる人にぶつかった一般人が悪いという考え方)


それを考えて正当性が取れる一面が出てくるのか、それでもやっぱり揺るがないものだったのかは、考えてみないとわからないです。

頭ごなしにいい悪いは決められませんし、0か100とも限らないんだという視点が、少なくともビジネスやライフスタイル、サイエンスの面において重視した方がいいことなんじゃないかなと思ったりしています。

 

そうしないと痛い目を見るのは自分ですし、なによりもったいない生き方をしてしまいます。

 

って私は考えますが、この価値観も決して正しいわけではなく、あくまで私自身の中で大切にしてることにすぎません。誰かに「でもそれってこうだよね」「僕はこう思うけどな」という意見を聞けば、自分の考え方を改めることだって十分にあります。

 

そんなわけで、今回はここまでにします。タイトルに沿ったこと書けているのかな。

ともあれ、結構デリケートな話題に触れましたが、こんな戯言も数年経ってもう一度読み返せば「何言ってんだこいつ」という感想を抱くかもしれませんね。

それでは!

バイオプラスチックについて適当に語るだけ

一か月ぶりですね。ものすごいさぼっていました汗


というのも、途中まで書いてはいたんです(言い訳タイム)。

でも納得いかなくて、寝てからまた書こうという気持ちで一晩放っておいたら、なんとですね、自動的に再起動していて文章がさっぱり消えたんですよ。

 

そんなことが先月3回ほどあったので、なんかもういいやという気持ちになって一か月たっていました。以上が言い訳です。めげずに書くという気持ちが足りなかったのが原因ではあります。
どうやら大学院に必要なメンタルの硬度(Hs)が未だ規定値を達していないようです(←?)

 

 

さて、今日はみんな大好きバイオプラスチックについて個人的な見解(感想になるやも)を書きなぐりたいと思います。文章としてまとまっていなかったら申し訳ありません。

 

そもそも僕がバイオプラスチックに関心を抱いたのは中学の理科の資料集から始まっていまして、正確には生分解性プラスチック(ポリ乳酸:PLA)の存在におどろいたんですよね。


小学校のころから環境問題について関心が雀の涙程度にあり、自由研究も環境問題について取り上げていた記憶があるんですけど、これが偽りの記憶じゃないことを祈りたいところです。

 

調べれば当然プラスチックが悪者になっていまして、分解しない問題点は生態系のバランスを崩すことにつながりかねない、と幼いながらもなんとなく察してはいました。


ところがそれを解決する生分解性プラが出てきたと。

え、植物や微生物からプラスチックって作れるの!?
しかも土に埋めたら分解するの!?(そもそもなんで分解しないんだっけ!?)
って真顔のまま心の中で驚いて。
これは革新的だと感動しました。

 

PLAとそれを分解する微生物すげぇと、僕の中の推しがモー娘からPLAに変わりましたね(そもそも当時からアイドルに関心ありませんでしたが)。

 

ただ、生産性が不十分、物性が低い、コスパが悪いといった問題も前までは上げられていました。


近年は当時より改善されつつありますが、まだまだ石油由来には勝てません。なんてったって安価極まりないですからね。あとは、比較的浅いながらも歴史的に事業化が定着しているので、そこを崩して前人未到の事業を築き上げる、となると相当の労力を伴うのもあるでしょう。

 

とはいうものの、バイオマスの種類によっては(例えば藻類とか)、ポリマー製品まで作る際のエネルギーコスパは格段に低いケースもあります。

他にも、汎用プラと比べてコスパが高いという点を利用して、熱的力学的物性等に非常に優れたポリイミドやポリベンゾイミダゾール等の高価なスーパーエンプラをバイオマスより開発するケースもあります。

そして、遺伝子組み換え微生物によるポリマー/モノマー成分の生成・貯蓄も可能となっていますので、低エネルギーで新しいバイオプラスチックを作るのも夢ではないと思います。

だからこそ、そろそろバイオプラスチックのブレークスルーが起きないととは感じています(僕が自覚してないだけで既に起きているかもしれませんが)。

 

環境にやさしい(石油使わないという意味で)だけでなく、バイオマスならではの機能性があるはずです。それは一次構造の設計次第ではもちろんありますが、その機能性を評価する方法が確立しなければ定義化ができず、事業にも発展しにくいとは感じます(だけど僕は分子設計と合成がしたい)。

 

従来の合成や評価方法では見落としている部分があるかもしれない。そこがブレークスルーとなるポイントになるかと考えています。具体的にはわかりませんが笑 でも、そこを各研究グループとかが補い合えるようになれば、進展は早いんだろうなと。


バイオプラスチックはこれまでの材料の代替となると言われていますが、どうしても金属やセラミックに勝てない部分はあります。

しかし、物性等で必要以上のスペックを備えた材料から、バイオプラスチックというバランスの取れた材料の開発が進めば、他の材料がさらに活かせる分野へと切り開くだろう、そんな一面もあるんじゃないかなって思ったりしてます。

材料の利用用途も過ぎたるは猶及ばざるが如しといいますからね(?)。従来の常識を改善して、真の適材適所を見つけることも大事だと考えます。

 

もちろん、バイオプラスチックが新しい分野を拓いていくことに変わりはありません。石油由来じゃできないことがバイオプラスチックでできる。前者になかった物性や機能が後者にある。そのケースは少なくないと思います。それ以上に、循環型の中で生産される点が魅力的ではありますが。


最後になりますが、個人的に夢見ていることは、機械学習と微生物との提携です。


(勉強不足で申し訳ありませんが)機械学習で分子設計の最適化を図らい、それの原料を組換え微生物で生成する。そこから化学的手法で機能性プラを製造する。そして分子スイッチングでリサイクル・廃棄しやすい構造に変換する。最終処理は微生物に任せる。

 

現実的に深く考えてはいませんが、そんな未来が生きているうちに来たらいいななんて思っています。

 

いまはプログラミングや機械学習がメジャーとなっている時代で、材料開発の面で次に(というか既に)注目されるのは微生物とゲノム編集だと思います。そこから生み出される材料となれば、バイオプラスチックの知見は必須となってくるんじゃないかなと思うんです(いま至極当たり前のことをどや顔で言った気分)

 

無駄にかっこつけて言いますが、バイオプラスチックは次の時代をつなぐ橋掛けになると、僕は思います。

 

…これ知人に読まれたらすごい恥ずかしいですね笑

 

そんなわけで、これからもなるべく更新を続けたいと思います。
頑張ります。

 

それでは!

抜け漏れのない自分になりたい

おはようございますクマTです。

名乗ったの久しぶりですね。いうてこのネーム使うの恥ずかしいなって気持ちがいまだにありますけど慣れていきましょう(謎の宣言)

 

 いきなりなんですが僕は実験すると87%の確率で抜けていることが多いんですよね。別に統計取っているわけでもなくざっくり8割9割起きているなとしか思ってないためテキトーな数字を書きましたが(なんやねん)。

 

 これ日常生活でもよくおきまして、あれをやろうって行動したときに自分の中で想定していなかったことが起きて「しまった!」ってなります。忘れ物はだいぶ改善されましたが、この間はタイヤ交換しにいったのにタイヤを忘れてしまったこともありました。ほかは完璧でしたよ。

 

 このような場合は大体思い付きで行動することが多いので、計画立てて、抜け漏れないかあらかじめ想定して、チェックリストでも作れば改善はされると思います、が、毎日書かなきゃいけなくなりますね。でもやっていくうちに慣れて要らない日が来るようになるかもしれない。そしたら抜け漏れのない人間になってるかもなーって思ったりしてます。

 

 それでも抜けていることもありまして、実験の相談とかで大体先輩に提案すると
先輩「でもこれってこういうこと起きるからやらない方がいいよね」
僕「あっ、ほんとだ!」


 というやりとりがしょっちゅう起きます。先輩よくその視野まで見えているなぁと毎回感心してる一方、どうしたら自分もそういった想定ができるんだろうと考えて(いるふりをして悩んで)いますね。

 

「もし~が起きたら」だけでなく、専門的な知識(基礎的な教養の問題かもしれませんが)がないとその視野までいかないんだろうなと最近思います。

 だとすれば答えは単純で勉強すればいいという話ですね。もっと論文読んで、いろんなプロセスや想定があるんだということを学べばいいと。

 あとは経験の数。たくさん実験をしたからこそ見えるものもあるんだろうなと思います。

 

 D生になってもこんなことを言っている時点で自分レベル低いなぁ、と3度の飯よりやっちゃってる自己嫌悪に陥ってますね今。まぁ嫌悪する暇あるなら研究しろって話ですが。

 

 あれ、ここに書くとなんとなく頭整理されますね(書いてることめちゃくちゃですけど)。あ、いいですねこれ(笑)

 

 他者向けでなく自分向けの記事になってしまって申し訳ないですけども、自分の気持ちぶちまけるのも悪くないですね。ブログすげぇや。

 

それでは、今日も一日頑張りましょう。
それでは!

アバウトにすることで見える世界がある。

 言われているうちが華だと分かっていても言われるのはやっぱりつらく思ってしまう僕です。でも本当にありがたいと思っているのは事実です。刺さりますけど。

 

 さて、今回は…何を話しましょう笑
 適当に書くだけならなんでもいいんですけど、真剣に書くとなるとやはり難しいものがありまして。毎日改善を心がけると、それだけで壁を感じますね。

 
 今回は思考力について簡単にお話しできたらなと思います。

 

 ビジネスではもちろんですが、研究では不可欠なものとなっている、にもかかわらず自分はその部分も不足していることを指摘されました。

 

 問題解決能力は知識の豊かさだけでは十分ではなく、そこに思考力、いわば知識を活用する能力が必要です。まぁ僕はそもそも知識も不足しているので笑えもしませんが。

 

 ふたつそろって相乗効果を発揮するのはわかってるんだけどどうして周りみたいにアイデアとかでないのか。

 

 ビジネスでしたら売上低下の問題やクレーム対応、退職率の増加等、様々な問題があり、そこに何の原因があるのかを突き止め、どうすれば改善策を編み出せるのかという感じでしょうか(学生がなんか言ってますが)。

 

 根本的な思考は同じだと思いますが、研究の場合ですと専門知識の色が強い感じはします。合成系では特にそうで、いかに反応の種類を知っているか、分子の電子的なふるまい(ルール)から高分子の性質をいかに理解しているか。そのうえで分子を設計して、実現可能な合成経路を考えたり、生じるであろう副反応も考慮しなければなりません。 

 こう偉そうに言ってますが、そういったアイデアを自分ではなく先生方や博士研究員、先輩がポンポン出しているので、議論しても半ば置いてけぼりになったりします。それがたまらなく悔しい。

 後で調べたり論文を読んでもスッと理解できないことに焦りといら立ちさえ覚えます。あれ、何の話でしたっけ。

 

 話を戻し、たいていの問題解決は具体化と抽象化の往復にあるといわれています。それについてまだ勉強中ではありますが、具体的な問題を抽象化に落とし込む(原因の追究)ことは非常に重要とされていまして、そうすることで根本的なものを見つけることができます。俯瞰する力ともいえますね。

 

 ただ一朝一夕で身につくものではないので、要約する力や区分け、区別、比較、そしてなぜを繰り返すことを日々習慣化すればおのずと抽象化する力を身に着けることができるのかなと思ったりします。

 

 あと、美術鑑賞もその訓練にはうってつけです。抽象画を言葉で説明したり、絵画から感じ取れること、メッセージ性、そこから聞こえてくる音や見えてくる色、香り、物語等、想像して明文化することも、鑑賞を楽しむ一環だと僕は思います。

 

 なんだか抽象的な話となりましたが、夜も更けてきましたので今回はこれで終わります。明日も早いなぁ。

 

 それでは。

脳は運動で成長する

 ジムのサンドバッグ練で手の甲の皮が破けてちょい痛いです。蹴りの練習もしているので脛も痣ができました。

 

 痛みなくして成長なしという言葉に賛同はしていますが、これはちょっとやり方の問題だったかもしれませんね。グローブなくてもせめて軍手は点けておいた方が良かったですね。そしたら豆が破けたようにはならず痣だけで済みました(物騒)

 そのあとは30分ほどランニングしていい汗かいて終了ですね。

 

 正直ランニングはダイエット目的ではあまり適したトレーニングではなく、どちらかと言えば筋トレの方が効果は高いです。有酸素運動とはいえ、走ってから20分でようやくカロリーを燃焼し始めますが、それでもたかが知れていまして、フルマラソンでの消費カロリーでも一日分の必須摂取カロリーを上回るのは難しいかと。なのでプラマイゼロに結果論としてなんじゃないかと思います。

 

 だからといって意味ないかというとそうではなく、むしろ軽い筋トレとランニング両方やって効果が出る感じですね。筋トレのメリットも語りたいですが、それ以上にランニングの効果がある程度の有酸素運動にとどまらず、脳機能の改善と向上につながるってことを話したいですね。

 

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 アンダース・ハンセン著の「一流の頭脳」という本をとある上司の方に勧められて、後日本屋で立ち読みして改めて知ったのですが、

IQや集中力・記憶力・創造性・抗疲労力・ストレス改善・抗うつ・やる気など脳にとってプラスとなる習慣が心拍数を上げる運動(週三、四回、30分程度のランニング)だといわれています。マジか。週一回程度とはいえ、知らないうちに脳にとっていいことしてたんですね自分(その割には能力あれだし憂鬱になりがちだけど)

 

 また、個人的には頭の中の整理にもなりますし、すっきりするんですよね。一時間以上走ると体が酸化し始めて老化につながるようですが

(この点についてもうのみせず科学的根拠をつきつめて自分なりに理解したいところです)

 

 ですので、40分程度が一番ちょうどよさそうな気はします。ペースはまぁ計算で決めるようですが、息が切れて汗をかくのがベターなようです。血流を大きく変動させることにも効果があります。

 

 進化したとはいえ、脳の構造の根本は1万年前の狩猟民族のころと変わらないので、運動することが本能に従属していることなのでしょう。

 

 やっぱりこの予測できない社会で生き残るのは狩猟民族スタイルかもしれませんね

(人類と気候の10万年史という本も、狩猟民族のライフスタイルが今後生き残るすべかもしれないと述べていましたし。この場合、安定性を求めず、少数精鋭で生きるという考え方でしたが)。

 

 さて、今回はこのあたりにします。ブログらしいわかりやすい書き方もいいのですが、ちょっと未だに時間の作り方がへたくそで、殴り書きのような内容しか書けていませんが、少しずつ改善できたらなぁ、なんて。

 

 それでは。

4月ですね。

昨日書いた分が投稿されてなかったので、以下再投稿分。

 

そろそろ更新してから一週間たつので書かねばという使命感に駆られて書いています。毎日書きたいんですけど習慣化できてないですね。まいったな。

 

というのも、こちらのブログに直接書き込むとときどき半角入力になるんですよね。しかも不可逆的な。再起動したら直るんですけど、下書き保存したはずの文章が藻屑の藻すら消え去ってしまっているので、これがやる気ごと消し去るもんですからたまったもんじゃないですね。あとは論文と研究がちょっと、ね(言い訳)

 

それはそうと、4月に入ったということで僕もなんとかD2になりました。とはいえ事情により今年から博士論文の研究テーマが変わり非常に危うい事態でありますので日々悪夢を見たり、おなかと頭が痛くなるばかりですね。そういうもんか。

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さて、本題に入りますがこの季節は桜がきれいですね。ランニングして一人花見でもしたい気分です。今日走るか。

 

出不精な僕がそう駆り出されるくらいになるほどに、桜は魅力的なんだなと思います。皆さんは桜を見たとき何を思うでしょうか。

 

春にしか感じ取れない爛漫とした楽しさ、真新しさ、あるいは美しさの裏にはらむ儚さか(突然のポエマー化)
あるいは南野陽子さんの「桜詩集」ですかね(今の小学生には伝わらないかもしれん)

 

まぁ桜の文学的な話も良いのですが、あくまで化学系なのでそれに沿った話を一つ。

 

そもそもなんで桜の色をしているのか、ですね。

 

これ子供のころからずっと気になっていたことで、なんか図書室で読んだ覚えあるんですよね、桜染めについてのなんか(いい加減)。

 

イメージ的にリトマス紙と同じ原理で、酸性だと青から赤色(ピンク)になる現象が花弁にも現れていると思うんですよ。だから桜は酸性なんじゃないかなって。もともと青緑色だという文献もありますし。

 

で、色素系はフラボノイド(黄色~青、紫)とかカロテノイド(黄色~赤)、クロロフィル(緑)、ベタレイン(黄色~赤、紫)が代表的ですね。あとアントシアニンもか。いずれも重合させたくなるような構造と官能基を持っていますね笑

 

ともあれ、それら構造のわずかな差はもちろん、プロトン化されたか否かでもまた吸収波長はわかれますね。金属錯体(キレート化合物とか)によるものじゃないの?って一瞬思いますが。花弁の中で変色が行われるとしたら浸透圧とかの問題で金属イオン(Ca, Kとか)とかスケール的に侵入するのかなとか思ったりします。でもMgとかならワンチャンいけそう。てなるとFeは…桜とは関与してないかな。Mgとキレートしたフラボノイド系に桜関係の色素がありそうですね。

 

んー、まずはペーパークロマトグラフィーですね(D生とは思えないいい加減さ)(教授が泣くぞ)

 

という感じでハマグリ狩りの潮の如く浅い思考に浸っていましたがこういうのはちゃんと調べてから書いたほうがいいですね。支離滅裂な文章になってしまったかな。

 

ということで、今年度も頑張ります。論文アクセプトしてもらうぞ!(まずはサブミットしろって話ですが)
それでは。

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